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最近は裁判が気になる
今日、SOBAさんによる植草氏の異常とも言える長い勾留に対しての抗議バナーを貼った。植草氏が犯罪を犯したかどうかは、現時点でははっきりした事は言えないが(ある程度答えは出ている)、どうも前回の公判の様子や、今回の取り調べや公判の様子を見ていると、検察の強引な手法が目に付いてしまう。それでと言うわけでは無いのだが、周防監督の「それでもボクはやっていない」も公開された事だし良い機会なので、ずいぶん前から日本の裁判で不思議に思っている事を書いてみようと思う。

そんな折、こんなニュースが目に入った。

<踏み字>
公選法違反の取り調べで賠償命令 鹿児島地裁

毎日新聞



鹿児島県議選で公選法違反があったとして、川畑さんを取り調べる際に「お前をこんな人間に育てた覚えはない」「早く正直なじいちゃんになってください」などと親や孫のメッセージとして書いた紙を、キリシタンの踏み絵のように踏ませたと言う。それを行った警部補は証人尋問で「黙秘する態度は親族の気持ちを踏みにじるのと同じと諭すためだった」と主張したらしいが、この人は人を諭す時にはこのような事を行うのが当然だと思っているのか? まぁ、それは置いておくとしても、はっきり言って被疑者を諭すような事は警部補のする仕事では無い。もっと言うと、そんなに素晴らしい人を諭すような人徳を持っているのならば、このような事はできないだろうし、人を諭すような事がしたいなら職を変えた方が良い。

しかし、この公選法違反では川畑さんは不起訴になっていたわけなのだが、この問題はこれで終わってしまうのか? と言うのは、現行犯では無いのだから、誰かが密告したか、情報提供があったのでは無いのか? すると、その情報が間違っていた事になる。では、その情報がどうして流れたかを調べなくてはならないだろう。多分調べないだろうが…。

さて、先に書いた裁判の解らないところを書こうと思うが、ひとつは裁判官や検察の法定での振る舞いだ。昨年からだと思うが、大川興業の阿蘇山大噴火氏がTBSラジオで「B級裁判傍聴記」と言うものを披露してくれている。これは、TBSラジオの「ストリーム」でPodcastにして公開してあるので、興味がある方は一度聞いてみても良いだろう。日本の裁判の様子が少しは解ると思う。

それを聞いていて、驚いた事がある。それは、裁判官も検察も感情を表に出して、或いは感情的な言動を行っても、それが当たり前のように法廷が進行されているのである。裁判官や検察の人間であっても、人間なのだから感情を出さずに行動する事は難しいかも知れないが、僕は淡々と事務的にさまざまな証拠などの情報を処理して尋問し、判決を行うものだと思っていた。そうでなければ公正な裁判が為されないと思っていたからである。

それが、全く違ったのだ。本当に普通の人のように言動の中に感情が入る。思いも拠らない事がわかると、驚いたり感動もするし、期待していた事が実現すると嬉しそうな言動になる。また、逆に思うようにならないと、自分が否定されたような反応を見せる事もある。ここで例に挙げるのは差し障りがあるかも知れないので控えておくが、僕らがクライアントとの打ち合わせなどで、場を和ますような言動をしたりする事と同じような事が行われていたりするのである。しかし、そこは単なる仕事の打ち合わせや親睦会では無く、裁判の場であって、罪の重さに関わらず人に罪を着せるかどうかを決める場なのだ。それによって人の一生が変わってしまう。法廷はそのような場所であるのに、自分たちの正義感や思い、感情を当たり前のように法廷で表に出し、自分たちの名誉欲、達成欲、そして生き甲斐などを得るためのものになっていないだろうか。たとえ、担当した裁判が非の打ち所のない裁定を下せたとしても、それで自分の欲のようなものを満足させてはいけない。彼らは、「人を裁く事には心苦しいものがあるけれども、この国にとって必要であり、国の平安に寄与する事だからこそ生き甲斐を感じる」と考えるべきなのだ。

また、前出の警部補のように裁判官が被告人を諭すような場面もあるようだが、これもおかしな事だと考える。裁判所は更生施設でも無いし、教会でも無い。ただ、提出されたあらゆる情報から、刑罰を決めるのみでは無いのか。更生や反省は、刑が確定してからしかるべき場所や人間によって為されるべきだと考えるのだ。いくら裁判中に諭すような事を言っても再犯をするものはいるわけだし、裁判官の自己満足では無いのだろうか。

少し前のニュースで「騒音おばさん」を裁判官が諭すような言動を行ったのを聞いた事がある。被告人が「申し訳ありませんでした。2度とこのような事はしません」と反省の弁を述べれば、裁判官も満足し、量刑を軽くするなどして気分が良いかもしれないが、被害者の心情や後々の他の裁判にも影響が出るのではないかと危惧している。中には素晴らしい人格者の裁判官もおられるだろうが、全ての裁判官に万能を求めるのは到底できるものでは無く、専門としてきた法律の適用において万全を尽くしてもらえば良いのだ。

それともうひとつの疑問、求刑と裁定の量刑の違いである。ほとんどの裁判で求刑された量刑と裁定の量刑が、ずいぶんとかけ離れているのに疑問を感じるのだ。いうまでも無いが検察も裁判官も裁判を何度も経験しているはずだし、経験が浅くても以前の類似の裁判の判例なども調べているはずである。ならば、量刑もどの程度出ているかが分かっているはずだ。調べたわけでは無いのではっきりした事は言えないが、判例などを参考にして量刑を算出すれば、求刑と裁定された量刑にそれほど差が出る事は考えにくいのだ。それが、僕が知っているずいぶん昔からその差は一向に縮まらない。もし、検察が大目に量刑を出しているとすると、これもずいぶんとアバウトであり、許される事では無いのでは無いだろうか? また、裁判官が手心を加えているとすると、被害者の心情を無視するものと捉えられてもおかしくない。まぁ、裁判も複雑であるから、「この罪は量刑に値するが、この件に関しては罪として認められない」と言うこともあるのだろうが、そうなると罪にならない事も罪に問おうとしていた事になり、これも問題だと考える。ひとつの犯罪しか犯していない人間を「犯罪を犯したから」といって、あれもこれもと罪を重くしようと言う意識が働いていないかと疑問になる。

と、まぁ裁判を傍聴した事も無いので疑問を書いてきたが、周防監督の映画によって「日本の裁判の一端が見える」と大変楽しみにしている。
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by chankin1 | 2007-01-20 00:01 | 政治・Social(社会)
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