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土橋、山部ぇ〜! そして、飯田ぁ〜(T.T)

土橋、山部ぇ〜! そして、飯田ぁ〜(T.T)_d0007585_1304794.jpg東京ヤクルトスワローズの土橋選手と山部投手が引退した。黄金期を支えた両選手には「お疲れさま」と声をかけたい。そして、東北楽天ゴールデンイーグルスの飯田選手もありがとう。


土橋ヒット!!山部K締め!!
ヤクルト一筋感激引退試合
<スポーツ報知>



土橋選手を初めて知ったのは、現スワローズ古田選手兼任監督の奥さんである中井美穂さんが、プロ野球ニュースに登場して間も無い頃の事。番組内で中井さんが2軍にいる有望な選手を監督かコーチに紹介してもらって、インタビューを交えて紹介するコーナーであったと思う。

初めてみた印象は「大人しそう」と言う事と、付けていた背番号が気になった。その背番号は38で、昔に見た野球の本か雑誌に「38を付けた選手は、ケガをしたり芽が出なかったりして、あまり良い数字ではない」と書かれていた事を覚えていたからだ。

しかし、そんな心配も危惧だけに終わり、すぐ一軍の試合で起用されるようになった。極端に短く持ったバットを上手く操り、右方向に流し打つ。これが彼の真骨頂なのだが、時には派手な事もやってくれた。一番覚えているのが、当時横浜に在籍していた斉藤投手(現ドジャース)が神宮でスワローズ相手に、ノーヒットノーランかパーフェクトゲームを達成しようと言うくらいの素晴らしいピッチングをした事があった。確か終盤の8回に彼の打順になり、見事左翼ポール際にホームランを打って、その大記録を阻止したのだ。その快挙に喜び過ぎて、スワローズが勝ったのか負けたのか、他の試合内容はほとんど覚えていない。それらがどうでも良い事くらいに、重苦しい雰囲気を打ち破った一撃だった。

一方、山部投手はスワローズのドラフト一位投手で、入団当初から注目され、当然のように活躍した。しかし、その頃によく耳にしたのが「繊細」と言う事だった。顔を見て貰えばわかると思うが、確かに神経質そうな顔をしている。解説者によると「投球時のフォームの確認を十数ヶ所でしている」と言う話だった。それがどの部分のチェックなのかはわからないが、一球投球するのにそれだけのチェック個所を意識しながら投げていたら、「良いフォームだったものもおかしくなってしまうのではないか」と思ったものだ。それが気になったのかどうかはわからないが、素晴らしい投球をしていても、打たれ出すとなかなか止められない試合が多かったように思う。「もッと自信を持って投げろ!」何度も心の中で思いながらテレビ観戦していた事が思い起こされる。

その山部投手が故障してしばらくはファームでの調整を余儀なくされ、僕の目の前に再び姿を現した時には、全盛期の速いストレートを武器に封じ込む姿はなかった。そしてフォームの変更。速球派投手としては勇気のいる決断だったのではないかと想像する。腕はずいぶんと下から出てくるようになり、一番の武器はストレートから大きく曲がるカーブに変わった。ポジションも先発投手から中継ぎ、ワンポイントへと変更された。近年では貴重な中継ぎの左腕として、その大きく曲がるカーブで、何度もピンチを抑えてくれた。

最後に東北楽天ゴールデンイーグルスで今期限りの引退表明した飯田哲也選手の事にも触れたいと思う。ほとんどの野球ファンは知っていると思うが、元々はスワローズに捕手として入団し、野村監督時代に内外野を守る事になり、全盛時はセンターで幾度もゴールデングラブ賞を取った事のある走攻守の三拍子が揃った名手だ。彼はシーズンオフにテレビで行われる「筋肉番付」でトップになった事もあるほどの運動能力を備えた選手で、いつだったか「東京ドームの高いフェンスをよじ登ってホームランボールを取る」のが目標と話していた事を聞いた事があるが、「本当にできるかも」と思わせられるほどの選手だった。実際に跳んで見せてくれたが、フェンスの頭まで後数十センチだった。

それから、センターからのバックフォームも素晴らしく、数々のピンチを救ってくれた。彼は強肩と言うのもあるが、それよりも特筆すべきものはコントロールだ。強肩で言えばプロ野球にはごろごろ存在するが、いくら強肩でもコントロールが悪くてはアウトにできない。いつだったか正月番組だったと記憶しているが、60メートルほど先のバスケットボールのゴールに向かってボールを投げ、何球で入れる事ができるか?と言う事をやっていて、興味を持って見ていたのだが、なんと最初の投球で入れてしまったのだ。テレビ番組であるから実際は何球も投げて入れたのかも知れない。真実はわからないが、その頃の飯田選手であったなら、不思議ではなかった。

また、最近ではチームの主力選手が試合中にケガをしてしまって長い期間出場できなくなった時に、チームメイトがその選手の背番号をどこかしらに付けてプレーする事が当たり前のようになっているが、多分、飯田選手が日本シリーズの直前にケガをして出場できなくなった際、スワローズのナインが行ったのが最初だと思う。

スワローズの黄金期を支えてくれた三選手に、改めて敬意と感謝の気持ちを表したい。
お疲れさまでした。

<追記>2006.10.20
三人ともスワローズのコーチとして迎えられる事になったようです。再度、優勝できるようなチームに、若手を鍛えて欲しいと思っています。
by chankin1 | 2006-10-17 01:36 | Sport

ほとんど毎日、明治のミルクチョコレートを食べていますw


by ちゃんきん