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本当に盗作なのか、共作なのか。

 盗作疑惑で絵画に興味が無い人まで巻き込んでしまっている和田義彦氏の絵ですが、その真相はどうなんでしょう(^_^;)。 僕の感覚では、盗作するなら世間にあまり知られていない作品とか、構図の一部を変えるとか、盗作した作品からヒントを得てオリジナリティを入れ、違ったものに見えるような工夫をするとかが考えられるのですが、今回の問題になった作品、と言うより作品群と言っても良いくらいのたくさんの絵が、ぱっと見、同じ絵と思われてもおかしくないように描かれています。そのことを考えると、和田氏が同じ構図で絵を描いた事を「悪い事」として捉えていないと感じるのです。これはどういう事なのでしょうか。不思議な感じがします。



本当に盗作なのか、共作なのか。_d0007585_552588.jpg

 和田氏は「共同作業で描いた作品」だと言っているようですが、「共同作業」をするだけの仲であるはずのスギ氏に完全に否定されました。スギ氏が嘘をついているまたは忘れてしまっている可能性も否定できませんが、スギ氏が嘘をつく理由も見当たりません。やはり「共同作業」は無かったのでしょうか。

 では、「共同作業」が無いとしたなら、スギ氏に黙って模倣したと言う事になりますが、全く世間に知られていない画家の作品なら兎も角、ある程度知られた画家の作品を、それも数十点と言う作品を模倣して、世間にオリジナルの作品として発表するでしょうか? あのように全くと言っていいほど構図を変えずに模倣したものなら、「『似ている』或いは『真似た』と思われるかも知れない」と普通であるならば考えるのではないかと思います。

 和田氏はテレビのインタビューにも答えて、「オリジナルの作品」と言っているようですが、そのような行動や報道されているようなコメントを聞くと、簡単に「盗作」とも決めつけられないと思うのです。和田氏がどれくらいイタリア語を話せるのかわかりませんが、スギ氏との話の中で誤解が生じていたのかも知れません。

 あと、もうひとつ考えられる事があります。それは和田氏の感覚が世間一般のそれとは違うと言う事です。絵画の世界には贋作と言うものがありますが、贋作は絵の具の色や盛りかた、筆の使い方までそっくりに描かれたもので、本物と思わせるようなものを言います。和田氏はそれとは違う、筆の使い方、色の置き方や盛りかたが違うので、「オリジナル」だと考えているのかも知れません。でも、この考え方も否定は出来ないと思います。例えば、子供の塗り絵でドラえもんの塗り絵があったとします。それに絵の具や色鉛筆で色を置くのではなく、道に落ちている石や砂、草や花びら、或いはスーパーや100円ショップで売っている小物を貼り付けたり、重ねたり、くっつけたりしたものが作品と呼べるものになるかも知れません。また、オリジナルを堂々と真似て、それにちょっと捻ったものが作品として認められたりもしています。書道などを考えると、おなじ字を誰もが書くのですが、それぞれの筆の運びかたや、墨の濃さ、紙面の使い方などでずいぶん印象が変わるので芸術のひとつとして成り立っています。
 とは言うものの、和田氏は一連の作品がスギ氏との共作である事を、初めの作品を描いた段階で発表しておかなければいけなかったでしょうね。

 それから、和田氏が確信犯ではあるが発覚する事に頭が回らなかった、ただの純粋な○○だと言う事も考えられます。(^_^;)

 文科省か文化庁かわからないですが、和田氏の作品をどのような観点から文科大臣賞に値すると判断したかを明らかにしなければいけないと思います。本当に良く似ていますが全く同じものではないので、それぞれ受ける印象が違います。文科省はおなじ印象を得ると言うのでしょうか? その辺の理由を聞きたいと思います(意地悪?)。美術団体は早々と「盗作」と断定したようですが、こちらの方も「盗作」と断定した理由を知りたいですね。きっと専門家ですから素人の言っているような「似ている」と言う理由以上の判断があると思われます。(^_^;)

 いろいろと書いてきましたが、問題の作品を見比べてみて僕の好みの作品ではありませんが、スギ氏の色使いよりは和田氏の方が良いと感じています。(^_^;) まぁ、どちらでも良いですが・・・。

<追記>
「伊画家」とテレビで見た時には「韓国の人?」、「スギ画家」とか「スギ氏」とラジオで聞いた時には「杉氏」と聞いてしまったのは僕だけでしょうか?(^_^;)
by chankin1 | 2006-06-02 07:43 | 政治・Social(社会)

ほとんど毎日、明治のミルクチョコレートを食べていますw


by ちゃんきん